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ICBM(バンド)

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B'zの凱旋公演で稲葉浩志を歓迎するのぼりが立てられた津山高校の写真 固有名詞
画像出典:筆者撮影

「ICBM」(アイシービーエム)とは、日本のヴォーカリスト・稲葉浩志(B’z)がかつてヴォーカルを務めた4人組アマチュアバンド。津山高校の同級生らで結成された。

メンバー

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名前(読み方)パート現在の職業
稲葉浩志(いなば ひろし)ヴォーカルミュージシャン
頼経英博(よりつね ひでひろ)ギター岡山県中学校教諭→教頭→副校長→校長(現:津山市立久米中学校校長)
小野田(おのだ、名前不明)ベース不明
小林伸一(こばやし しんいち)ドラムス(有)オカモト食品代表取締役

来歴

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高校2年生の春、頼経英博さんが放課後に津山高校の校内を歩いていると、テニスコートから良く通る高い声が聞こえてきた。その声が、当時軟式テニス部に所属し、先輩から”指示出し”を任されていた稲葉の声であった。中学2年生の頃からギターを弾いておりバンドを組んで文化祭に出ることが夢だった頼経さんはこの声を聞いて、バンドのヴォーカルは「彼しかいない」と確信したという。

そして頼経さんはすぐに稲葉を説得し、最初は、二人だけでバンド活動をスタート。バンドは、「LOUDNESS」の完全コピーを目指すことを目標として始まった。
またバンド名は、「それが落ちたら世界が終わる」という意味で、大陸間弾道ミサイルの名称である「ICBM」と命名した。

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頼経さんは稲葉とより長い時間を共有するために高校2年生時に自らも軟式テニス部に入り、部活後、稲葉と部室でバンドの練習を実施。頼経さんが稲葉の腹の上に座り稲葉が叫ぶという方法で、歌唱用の腹筋を鍛えさせたこともあった。

その後、テニス部の同級生であった小野田さんが、フォークギターが弾けるという理由でベースを担当することに。その後は頼経さんがドラムを叩いてカセットテープに吹き込んだ音源に合わせて、バンド練習を行った。なお練習場所には音楽スタジオ、各メンバーの家、軟式テニス部の部室を使用した。

高校2年生の秋、頼経さんらが文化祭『十六夜祭』(いざよいさい)への出演を提案したが、稲葉が”まだ自信がないから1年待ってほしい”とメンバーに伝えたことで、出演を見送った。

最後に、高校2年生の冬(2月)以降にドラムスに小林伸一さんが参加した。

『十六夜祭』でのICBMのステージ

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1982年(昭和57年)9月13日、ICBMは津山高校の文化祭『十六夜祭』に出演。計2回のステージをこなした。
なおこの時が、ICBMが人前で演奏した最初で最後の機会となった。

1回目のステージは朝一番で、野外の弓道場。ICBMは、LOUDNESSやマイケル・シェンカー・グループ(Michael Schenker Group)の曲を計4曲演奏した。

ところが本番では、練習のし過ぎからか稲葉の喉が不調に。ステージを降りた後、稲葉は一人どこかに消えてしまったという。この様子にメンバー全員が心配したところだったが、次のステージが始まる直前に、稲葉は戻ってきた。

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2回目のステージは夕方で、体育館。今度はICBMは、LOUDNESSの「ANGEL DUST」、「SEXY WOMAN」、「SHOW ME SOMETHING GOOD」、「BURNING LOVE」の計4曲を演奏した。
この時稲葉は、喉の不調をカバーするために裏声を駆使して歌い切ったという。

しかし両方のステージには大勢の聴衆が駆け付け、大盛況に。翌日の山陽新聞・津山市民版では、ICBMらのステージの様子が報じられた。

なお稲葉は後に、「この(悔しい想いをした)経験が、音楽を続けるきっかけになった」と語っている。

大学進学後は自然消滅 しかし定期的に練習も 1985年まで活動

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「十六夜祭」のステージの後に、ICBMは自然消滅状態に。そのままメンバーは、別々の大学の進学した。

しかし津山高校卒業後も、メンバーは3、4ヶ月ほどに1回定期的に集まり、演奏を続けていたという。
具体的には頼経さんが音源が入ったカセットテープと楽曲のリストを各メンバー封筒で送り、次の休みに演奏する曲を指定するなどしていた。バンドの活動は大学3年生時、1985年の夏まで続いた。つまりICBMの活動期間は実質1981年(昭和56年)~1985年(昭和60年)となる。

なお頼経さん曰く、ICBMはまだ解散していないという。

LOUDNESSをコピーしたYouTubeの動画について

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ICBMがLOUDNESSの「CRAZY DOCTOR」や「MILKY WAY」を民家の和室と思われる場所で演奏している動画がYouTubeにアップロードされていることが、2010年代に入り話題となった。この動画は前述の大学時代(1985年頃)に撮影されたものと推測される。

これを受けて2014年6月23日にB’zの公式YouTubeチャンネルで公開された対談動画『二井原実 × 稲葉浩志「Vocalist対談」』でMC・伊藤政則が話題を切り出すと、稲葉は「高校の同級生の自宅で撮ったやつを…誰が出してるんですか?」とコメント。またLOUDNESSのヴォーカル・二井原実はファンからメールで稲葉の歌唱動画の存在を教えられ、「稲葉さんの動画を見て、すでに(高校生の)彼は二井原さんを超えてますから」などと言われていたことを明かした。

B’z津山公演でのメンバーの再会

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B’zのデビュー以前の時点から約30年間ほど交流のなかったメンバーだが、2017年7月22日、B’zが岡山県津山市の津山文化センター(山下)で事実上の凱旋公演(『B’z SHOWCASE 2017 -B’z In Your Town-』)を実施。この時稲葉は頼経さんらと電話で連絡を取り、ライブを観に来てほしいと伝えたという。

そして当日、招待された頼経さん家族と小林さん夫妻がライブに参加。本番前には3人が肩を抱き合って声を掛け合い、無事再会を果たした。頼経さんと小林さんは稲葉に「楽しみにしとるで。頑張ってな」と伝えた。
なお稲葉は終演後にも二人から、「やっぱり稲葉は最高のボーカリストじゃ!」と言われたという。

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