東京港区・赤坂。東京メトロ「赤坂見附」駅から徒歩約3分の場所に、昭和の名優・勝新太郎とB’zのヴォーカル・稲葉浩志、ギター・松本孝弘らが出会ったという、酒場「田賀」(たか)が存在している。
この店で勝と稲葉、松本らはどのようにして出会い、どのような関係を築いたのか。筆者が実際に取材し、エピソードをまとめた。
名優・勝新太郎とB’zが出会った伝説の酒場 「田賀」
1994年のある日、当時六本木に店を構えていた六本木「田賀」(現在は酒場「田賀」)に、ロックユニット「B’z」のヴォーカリスト・稲葉浩志がお腹を空かせて一人で入ってきた。
当時、B’zのレコーディングスタジオが店の裏にあったことから、彼は相方・松本孝弘と同様に、よくこの店に出入りしていたのである。
そしてこの日、当時同店に足繫く通っていた俳優・勝新太郎もまた、店に来る予定だった。
このことを知っていたマスターの故・田中泰夫さんは、店を貸切にしようと考えていたが、いいチャンスだと考え、密かに稲葉と勝を引き合わせようとした。
そしてほどなくして、勝が”おい、来たよ”と入店。稲葉は勝を見て仰天し、”マスター、やばいです、勝さんです”と、緊張した様子を見せたという。
その場でマスターが稲葉を勝に紹介。勝は当時「B’z」を知らず、”「ビーズ(数珠玉)」かい?”とおどけてみせた。
さらに稲葉を見て「いい顔をしているな」と何度も呟き、また、「平成のミュージシャンの仏陀みたいな顔をしている」などと言い放ったという。
(ちなみに、各メディアなどで報道されている”裕次郎以来、久し振りに本物に出会った思いだ”と述べた、俳優にスカウトした、などといったエピソードは、全て誤りである。)
その日、勝は自身が考案した、ビールにテキーラを加えるドリンク「廻り花」(まわりはな)を、”これ飲んでごらんなさいよ”などと言い、稲葉に提供。(勝は自ら生ビールを注ぎ、マイボトルのテキーラを入れたという。)
稲葉は再び驚きながらもこれを飲み、両者の関係は、この日から始まった。
そして後日、松本と勝もまた酒場「田賀」で対面を果たし、勝は、B’zの二人のことをたいそう気に入ったという。
ちなみに、B’zの稲葉と松本は元来、勝新太郎のファン。1994年5月にはマスターに連れられ、勝の舞台『不知火検校』を観に行ったことがあったそうだ。
勝新太郎が『B’z LIVE-GYM Pleasure ’95 “BUZZ!!”』を観覧 稲葉が「テンガロンハット」を着用しステージに
その後勝は、B’zのコンサートに行きたいと嘆願し、マスターが、1995年7月23日(日)に横浜スタジアムで開催された『B’z LIVE-GYM Pleasure ’95 “BUZZ!!”』公演に、勝を案内。楽屋で勝は、大量の差し入れと共に最愛の兄・若山富三郎の形見であるニューヨークヤンキースのマークが入ったテンガロンハットを、稲葉にプレゼントした。
実はこのテンガロンハットは、生前勝が周囲に「誰にもあげない」と言い張っていた、勝の宝物。
それだけに、マスターはこの行動に、非常に驚いたという。
そしてこの公演のオープニングで、稲葉は早速テンガロンハットを着用して登場し、楽曲「BLOWIN’」を熱唱。これを観た勝は、”うん、あいつはいい”と、感動し切っていたという。
また普段は公演途中で帰ってしまう勝が、この日はアンコールの最後まで、コンサートを観続けたということだ。
なお、稲葉はその後のツアーでもハットを着用しており、映像作品『”BUZZ!!” THE MOVIE』で、その様子を見ることができる。そしてそのテンガロンハットは、現在もなお稲葉浩志の自宅スタジオ『志庵』に大切に飾られており、2020年のコロナ禍でYouTubeに公開された複数の自宅セッション動画にも登場している。
勝が命名した「バズ茶漬け」ツアータイトル『B’z LIVE-GYM Pleasure ’95 “BUZZ!!”』に由来
それからも、勝とB’zの交流は続く。ある日、酒場「田賀」に、コンサートを終えた松本夫婦が来ており、勝は、自らが発案した、焼きハラスにわさびを添えて茶漬けにしたお気に入りの料理”ハラス茶漬け”をご馳走した。そしてその際、これに改め名前を付けようとして松本にB’zの直近のツアータイトルを確認したところ、松本が「BUZZ」と答えたため、勝はその料理を「バズ茶漬け」と命名。勝はその場で色紙に「バズ茶漬け」と認め、この「バズ茶漬け」は、一躍同店の人気メニューとなった。
その後も稲葉、松本、そして勝らは度々酒場「田賀」を訪れ、交流を深めていったのである。
しかしながら勝は、やがて闘病生活に入り入院。そして多くの人に惜しまれながら、1997年6月に逝去した。まだ65歳でのことだった。
晩年、稲葉とマスターは予定を合わせてお見舞いに行こうとしていたが、都合が合った際には、すでに面会謝絶となっていたそうである。(また、B’zのアルバム『SURVIVE』(9th AL 1997.11.19)に収録されている「Shower」の歌詞が、稲葉浩志が勝新太郎を偲んで書いたものではないか、とも言われているが、これについて稲葉が公に語ったり関係者に語ったりした事実は、今のところない。このエピソードに関しては、実話を想起させるものではあるが、あくまで憶測の域を出ない事柄である、と言えるだろう。)
以上が、生前の勝とB’zを巡る、主なエピソードだ。
このようにして、勝とB’zは酒場「田賀」で出会い、そして生涯を通じて、絆を深めた。
日本を代表する名優とロックスターの、歴史的な邂逅である。
ちなみに稲葉は、2020年のB’z配信ライブ『B’z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day1~5』のファンクラブインタビューでも改めて、酒場「田賀」を通じた勝新太郎との思い出を述懐。
勝について、稲葉は「(”昭和の大スターですよね”と訊かれ)ハンパないですよ。でも可愛らしい、チャーミングな人ですよね。」とコメントし、またこれを横で聞いていた松本も笑みを浮かべながら、しみじみと頷いた。
B’z「BIG」の歌詞に酒場「田賀」が登場 ”カウンターのおじさん””マスターとママ”は実話
ちなみに、勝と稲葉、松本が出会ったこの酒場「田賀」は、B’zの楽曲「BIG」(8th AL『LOOSE』1995.11.22)の歌詞にも登場している。
「ジョッキ片手に騒ぐカウンターのおじさん なんだか知らないけども“オリャ百万賭けるぜ”と息巻いた」(作詞:稲葉浩志)というフレーズは、店の常連客の実際の様子(当時、何かあると『100万賭けるよ!』と言う常連客がいたらしい)を、そして「ほらまたマスターとママが喧嘩を始めるよ」(作詞:稲葉浩志)というフレーズは、酒場「田賀」のマスターとママの日常の様子を、描写しているのだ。
周囲の人間のことがよく歌詞に描かれていた当時に酒場「田賀」が楽曲に登場していたことからは、B’zにとって酒場「田賀」がいかに生活に根差した場所であったかということが、窺い知れる。
酒場「田賀」マスターはサックス奏者 B’zの二人が慕う 「The 7th Blues」には「TAKA」クレジットも
また、酒場「田賀」のマスター・田中泰夫さんは、2018年7月に逝去。
かつてラテンバンド「東京キューバンボーイズ」でサックス奏者を務め、歌手・水原弘のバックバンドも担当した(この時水原の紹介で勝と出会った)田中さんを、B’zの二人は先輩ミュージシャンとして慕っていたといい、アルバム『The 7th Blues』(7th AL 1994.03.02)の制作時には、マスターがスタジオに出入りすることもあったとのこと。
『The 7th Blues』のクレジットには、”Special Thanks”として「TAKA」の文字が記載されている。
現在も酒場「田賀」はママを中心に営業中
そして、多くの芸能関係者、常連客、そしてB’zのファンや勝新太郎のファンらに愛され営業を続けていた「六本木 田賀」は2000年に一度場所を移し、さらに2009年には、店舗を現在の場所・赤坂見附に移転。店名を酒場「田賀」に改め、再オープンした。また、マスター・田中泰夫さんが逝去して以降も、ママを中心に、営業を続けている。
ママは現在、齢80を越える。ママはお店について、「おかげさまで今年の11月に37周年を迎えましたが、B’zファン勝ファンの方々に元気を頂いた賜物です。」と語る。
さらにファンに向けては、「今は皆さん大変な時ですが、くれぐれもお身体に気をつけてお過ごし下さい。田賀に来たことがある方も まだ来たことがない方も またお会いできたら嬉しいです。」とメッセージも。
店内に勝やB’zの歴史が今なおそのままの状態で残っている、ファン必見の名店・酒場「田賀」。
これからも末永く存続することを、願いたいところだ。
住所 | |
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電話番号 | 03-3505-6938 |
営業時間 | 19:30~1:30※日によって変更有、事前にTEL。時短要請で2021年1月11日まで22:00閉店。 |
定休日 | 日曜日 |
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