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TAKURO

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B'z松本孝弘と親交があるGLAYのギタリスト・TAKUROの画像 TAKURO
画像出典:GLAYの公式サイトより引用

TAKURO(たくろう)とは、日本のミュージシャン。ギタリスト、キーボディスト、作曲家、作詞家、編曲家、企業経営者。ロックバンド「GLAY」のリーダー。1971年5月26日生まれ、北海道函館市出身。年齢52歳。B’zのギタリスト・松本孝弘と交友関係があることが知られている。

B’z松本孝弘との関係

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TAKUROと松本は共に自身のバンドのギタリストでありリーダーである(作曲者でもある)という共通項を持っている。

松本のバンド「B’z」は1988年、TAKUROのバンド「GLAY」は1994年にデビュー(結成は1988年)しており、メジャーアーティストとしてのキャリアでは、松本の方が6年先輩にあたる。また年齢は、松本の方が約10歳2ヶ月(11学年)年上になる。

二人は1999年にNHKの番組で対談して以来親交を深め、食事などを頻繁に共にする友人関係であると共に、松本がTAKUROのソロアルバムをプロデュースするなど、仕事上の付き合いもある。

TAKUROは高校時代から、すでにセッションギタリストとしてギター雑誌の裏表紙などに出ていた松本のことを知っていた。そしてその存在をはっきりと認識したのは、B’zが1989年12月15日放送のフジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオR&N』で1stシングル「だからその手を離して」を披露しているのを、テレビで観た時であった。この時TAKUROは、TM NETWORKも好きだったがサポートミュージシャンまで気を配っていなかったため、同番組を見て”ああ、このギタリストはTMでギターを弾いていたのか、カッコいいな”(『TAK MATSUMOTO PLAYER’S BOOK』より引用)と思ったという。

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その後GLAYのメンバーと共に上京し、埼玉・浦和付近で宅配便(”ペリカン便”)のアルバイトをしていたTAKUROは、ラジオで掛かっていたB’z「ALONE」を耳にして感動。B’zのCDとして初めて、ミニアルバム『MARS』(1991年5月29日発売)を購入した。なお、当時特に収録曲「孤独のRunaway」を気に入ったといい、GLAYの3rdシングル「彼女の“Modern…”」(1994年11月16日発売)では「愛を殴って夢を蹴る」というフレーズで、歌詞をパクったという(「孤独のRunaway」では「愛を殴ってみよう 義理を蹴飛ばしてみよう」というフレーズが登場する。)

デビューしたての頃(1994年以降)、B’zのライブチケットを獲ろうと画策したが、なかなか手に入れることが出来なかった。
そして1996年1月1日発売のB’zのライブ映像作品『”BUZZ!!” THE MOVIE』を観てパフォーマンスが圧倒的だと感じ、特にヴォーカル・TERUにB’zのライブを見せたいと思っていたところに武道館公演のチケットが獲れ、初の武道館でのコンサート(『B’z LIVE-GYM ’96 “Spirit LOOSE”』)をTERUと観に行った。

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1999年5月7日にNHK BS2で放送された松本の特集番組『松本孝弘 ソロ・プロジェクト 〜B’zへの挑戦〜』でTAKUROと松本が初めて対談。収録後、二人はバーに行ってお酒を飲んだという。
その後松本がTAKUROを食事に誘ったことがきっかけで、二人の交友関係が始まった。
2019年時点でのインタビューでは、TAKUROが松本のことを”メシ要員”などと表現していることから、コロナ禍の前までは、二人が頻繁に食事を共にしていたことが窺える。
また共通の知り合いに氷室京介、YOSHIKI(X JAPAN)、SUGIZO(X JAPAN、LUNA SEA)、桃井かおりらがおり、主に米・L.A.に住む彼らとの交友が、盛んであった。

2002年2月27日発売の松本孝弘の5th アルバム『華』で、松本からオファーを受け、「ENGAGED」を共作した。(作曲:TAKURO。”インストだよ”と言われたにも関わらず歌詞も書いたといい、自らの歌の入ったデモテープの音源をラジオ番組で放送した。)

2003年9月20日発売の『別冊カドカワ 総力特集 B’z』で、TAKUROがB’zにメモリアル・メッセージを寄稿した。

2016年12月14日、松本がプロデューサーを務めたTAKUROの1stソロ・アルバム『Journey without a map』が発売された。

2019年2月27日、再び松本がプロデューサーを務めたTAKUROの2ndソロ・アルバム『Journey without a mapⅡ』が発売された。

2019年5月31日放送の日本テレビ系『ZIP!』SHOWBIZSPECIALでB’zが特集された際、TAKUROがVTR出演した。(西川貴教もVTR出演した。)

2019年11月24日発売のTAKUROを特集した書籍『GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES『TAKURO -GLAY-』』の「SPECIAL TALK SESSION #1」で、松本とTAKUROの対談が掲載された。

2021年5月10日発売の松本孝弘プロデビュー40周年を記念した公式書籍『TAK MATSUMOTO PLAYER’S BOOK』で、TAKUROが松本へスペシャルメッセージを寄稿した。

2021年9月28日・29日開催の『B’z presents UNITE #01』で、GLAYのギタリストとしてB’zと初めて共演した。

TAKUROが松本から受けた影響

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  • TAKUROは松本をリスペクトしている旨を、各メディアで幾度となく語っている。具体的には松本から、ギタリストやバンドリーダー、人間として重要なことを色々と学んだという。
  • またTAKUROは、GLAYの存在に松本が大きな影響を与えたとも語っており、具体的には「B’zがいなければGLAYは存在しなかったと思う」「27歳、8歳の頃に松本さんと出会わなければ、これまでをまとめられなかったとも言えるぐらい、バンドのリーダーとしての立場にも影響を受けています」などと述べたことがある。
  • TAKURO曰く松本は、1990年代後半から2000年代前半の、いわゆるGLAYが最も売れていた時期に、何度も「お前ら、いい加減にせぇよ」ということをスッと言ってくれたという(人としてガチで怒られたことも10回、20回ある、と語っている)。そしてそのことを松本の「優しさ」だと表現しており、「松本さんは優しいから本当はきびしいことなんて言いたくないと思う。言いづらいことを言うからなって僕にもきびしいアドバイスをしてくれる」「歳をとるに連れて、そういうことを言ってくれる人がどんどん減っていく中で、松本さんは言ってくれる。だから、絶対に裏切っちゃいけない人だと思っています」と述べ、松本に感謝の意を示している。(『TAK MATSUMOTO PLAYER’S BOOK』、『GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES『TAKURO -GLAY-』』より引用)
  • TAKUROは30代半ばの頃まで、同じバンドにHISASHIという優れたギタリストがいたことなどから、”ギターは作詞作曲をサポートする楽器だ”と考え、それを憚らず公言していたという。当時それを聞いた松本も、その発言は否定しなかった。一方でTAKURO曰く、『”ギタリスト/ミュージシャンの道を歩むなら、こうじゃないか”ということを、「お前には強要しないけど、僕はこうだったよ、こういう経験をしたよ」と言ってくれ』たといい、このことがTAKUROがギターや機材に向き合うきっかけにもなった。(『GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES『TAKURO -GLAY-』』より引用)
  • 松本からかねてからTAKUROに、ギタリストとしての可能性が開け、多くのことを学べるという理由から「ソロアルバムを作った方がいい」と勧めていた。そしてそこからかなりの時間が経ったが、2016年頃にTAKUROがソロアルバムを作りたいと松本に相談すると(TAKUROは、年齢を重ねてもギターが下手だと生き残っていけないと感じていたという)松本は、「だったら今やればいいんじゃないか」と返答した。またTAKUROのインストゥルメンタルアルバムを作りたいという意向に対し、松本は当初歌モノに挑戦するかと思っていたため驚いたが、当初とギターに対する思い入れがかなり変わっていたことから、何か手伝えるのではないかと考えオファーを承諾した。
  • 『Journey without a map』の制作では松本がTAKUROに「TAKUROさぁ、もっとちゃんと弾きなよ。っていうか、俺はお前より、お前の曲を弾いている」と厳しい指摘やアドバイスを行うことがあり、TAKUROが自身と向き合う厳しい場面もあった。しかしTAKUROは、「プロデューサーとして厳しいことも言うけれど、どれひとつ不条理でなく、理解できる。必要なアドバイスを正しいタイミングで正しい言葉選びで伝えてくれる。」などと述べ、松本のプロデュースの正しさについて語っている。(『TAK MATSUMOTO PLAYER’S BOOK』、『GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES『TAKURO -GLAY-』』より引用)
  • 『B’z presents UNITE #01』の企画の礎が生まれる瞬間に立ち会っている。コロナ禍で、松本の家で松本と談笑している際に、松本が「我々のようなキャリアのある連中が動き出さないと」などと言い、TAKUROは「やってくださいよ」などと返していた。そしてその後、B’zが本当に業界を動かす試みとして『B’z presents UNITE #01』を行うことになり、松本がTAKUROにGLAY出演のオファーを送った。

その他のエピソード

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  • 松本はGLAYのベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』(1997年10月1日発売)を買い、TAKUROはB’zのベストアルバム『B’z The Best “Pleasure”』(1998年5月20日発売)を発売当日にコンビニで買った。
  • TAKUROはB’zの33rdシングル「熱き鼓動の果て」(2002年6月5日発売)をテレビ朝日系『パンパシ水泳横浜 2002』大会公式テーマソングとしてリリース前に何度も聴いており、ある日友人とCDショップに行き購入。しかし待てど暮らせどテレビで耳にしていた激しいサビの部分が聴こえて来ず、一瞬”間違えてバラードバージョンを買ってしまったのではないか”と思ってしまったという。
  • TAKUROは『WHAT’s IN?』2003年1月号にてB’z『GREEN』をおすすめのアルバムの1枚に挙げ、「B’zの上にB’zなし。B’zの下にB’zなし。」と綴った。
  • TAKUROは松本から「YAMAHA MG-M Ⅲ Custom Prototype 1993」をプレゼントされた。
  • TAKUROは松本を2014年11月11日に米・ニューヨークで開催されたX JAPANの『X JAPAN LIVE AT MADISON SQUARE GARDEN』に誘った。また氷室京介の自宅でのパーティーで、YOSHIKIと松本の間でTAKUROの話題が酒の肴になったという。このようにYOSHIKIと松本(またYOSHIKIと氷室、松本と氷室)の関係を結びつけるキューピット役を、TAKUROが果たした。
  • 氷室京介は2016年5月23日に東京ドームで開催したラストライブ『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』のMCで、「最近TAKURO君が、L.A.に彼は昔は家を持ってたくらいL.A.が好きなのよ。で、B’zの松本君もつい最近L.A.に越して来て。まぁ、たまにTAKURO君が来た時は、みんなで飯食ったりするんだけど。こないだこのツアーがちょうど始まる前に、焼肉食いに行ったんだよ。3人で。」とコメント。直近で、TAKUROと松本と三人で焼肉を食べに行ったことを明かした。
  • 2020年6月以前、コロナ禍で自粛(ステイホーム)期間が続く中、TAKUROが「リモート飲みしましょうよ」とLINEをしたことで、松本とTAKUROは二人で約1時間以上、”リモート飲み会”をしたという。

『B’z presents UNITE #01』参加へのコメント

この度、Rock Project「B’z presents UNITE #01」に参加しますGLAYのギターのTAKUROです。
長く続くコロナ禍でも希望を失わず、心を一つにして未来を切り開こうとするB’z初のこのイベントに誘っていただいた事、とても光栄に思います。
ありがとうございます。
まだまだ世界は予断を許さない状況ではありますが、僕たちGLAYも今一度音楽が持つ力を信じて横浜アリーナのステージに立ちたいと思います。
ミュージシャン発信のイベントだからこそのこの夜限りのセッションも期待しています。
ライブを待ちこがれる音楽ファンの皆様のひとときの安らぎになりますように。

GLAY / TAKURO

B’z公式サイト(https://bz-vermillion.com/unite/)より引用

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公式サイト・SNS(TAKUROソロでは存在しておらず、「GLAY」のものを記載する)

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コメント

  1. LAST GIGS より:

    氷室京介
    松本
    TAKURO

    焼肉

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