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明石昌夫(B’zのアレンジャー&サポートベーシスト)

B'zのアレンジャー・サポートメンバーを務めた明石昌夫のプロフィール写真 明石昌夫
画像出典:明石昌夫のInstagram投稿より引用

明石昌夫(あかし まさお)とは、日本のミュージシャン。アレンジャー、ベーシスト、音楽プロデューサー、洗足学園音楽大学教授。1957年3月25日生まれ。年齢67歳。兵庫県西宮市出身。身長172cm。血液型A型。おひつじ座。大阪大学基礎工学部電子工学科卒。B’zやZARD、WANDS、大黒摩季、T-BOLAN、TUBE、MANISHなどのアレンジャー、またB’zのサポートメンバーを務めたことなどで、知られる。

来歴(幼少期〜大阪時代)

音楽好きの一家に生まれ、4歳の頃からバイオリンを習い始める。自ら練習を継続し、小学校に上がる前の時点で”芸大に行きたい、もしダメだったら東大にする”、といった一風変わった目標を持つようになる。

その後、クラシックのミュージシャンもしくは作曲家になることを志望。しかし小学校の終わり頃にGSブームが到来し、GS音楽に衝撃を受けたことから、ロック音楽に傾倒するようになる。その後、洋楽のロック(主にレッド・ツェッペリン、クリーム、ディープ・パープルなどのブリティッシュロック)を好んで聴くようになり、片やドラム、ギター、ベース、キーボード、フルートなどの様々な楽器を練習。中学校3年生の時に初めてバンドを結成し、友人のバンドの足りないパートを担当するなどしていた。
また当時テクニック指向であったことから、ベースなら速弾きで一番になれるだろうという思惑の下、ジャック・ブルーズのベースラインを弾けたこと、そしてベック・ボガート&アピスのコンサートでティム・ボガートの演奏に感銘を受けたことで、ベーシストになることを決意するに至った。

その後、大阪大学基礎工学部電子工学科に入学。在学中から大阪で様々なバンドに参加し、”手数王”の異名を持つ名ドラマー・菅沼孝三のバンドのローディーやPAエンジニアを買って出るようになる。
そこから次第に菅沼が明石に仕事を紹介するようになり、夜の店でのステージの仕事や、演歌歌手のバックバンドとしてのテレビ出演の仕事などに、従事(名手・菅沼のお陰で、割が良いものもあったという)。大学卒業時にはベーシストととして生計が立てられるようになり、就職したくないという想いもあったことから、バンドマンの仕事を継続することにした。(なおその時、阪大を出たこともあって親からは大反対されたという。)

その後、30歳の頃まで大阪で活動。その頃菅沼のバンドが上京するという話を耳にし、年齢を考えると関西にこのままいたのでは状況が好ましくないとの判断もあったことでデモテープを同バンドのマネージャーに託し、最終的にビーイングのプロデューサー・長戸大幸だけがデモテープを目に留めたことによって、ビーイングにアレンジャーとして採用されることとなった。(また明石がアレンジャーとして採用される直前のことだと思われるが、一時ビーイングの社員としてHMバンド「BLIZARD」のディレクターを半年間務めていた時期があったという。※その後社員は辞め、アレンジャーとして採用されたことになる。)

 

ビーイング、B’zとの出会い

そして同マネージャーがB’zとしてデビュー前の稲葉浩志のマネージャーを担当。さらに稲葉の試金石となったプロジェクトである”稲葉バンド”の前任のベーシストが辞めたことでオファーが舞い込み、明石は同プロジェクトのベースを担当することになった。プロジェクト自体はやがて解散したが、その後稲葉は松本孝弘と出会い、「B’z」を結成することに。よって明石は、そのままB’zのアレンジャー、さらにはサポートメンバーを務めることとなった。(※この段落のみ、現在詳細を調査中)

B’zのアレンジャーは、主に1988年から1994年まで担当。オーケストラヒットやブラス、クラッシュシンバルなどの音色を多用したインパクト性の強いアレンジ、常識を覆す画期的なサンプリングアレンジなどで、B’zのデビュー後のブレイク期を支えた。

そしてその後、1994年に音楽制作集団「B+U+M」の解体と共に、B’zの制作を離脱。(なお1995年発表の「東京」と「敵がいなけりゃ」は、前年の「MOTEL」制作時のものである。また2000年に、一度「UBU」のアレンジで復帰している。※明石最後のB’zアレンジ作品)
だが一方、B’zのサポートメンバーは、ベースとして1997年まで務めている。

 

B’zの制作を離脱した理由

ちなみにB’zのアレンジャーを離脱することになった(「クビになった」)理由について明石は、2021年に公開したYouTubeの動画で、2枚組アルバム『The 7th Blues』の制作をもって自身のイマジネーションが枯渇した点(特に「MOTEL」のアレンジはかなり難航した模様。そして同アルバムで、明石は自身の”やりたいこと”をかなり実現させたようでもある。※具体的には、フルバンドでのレコーディングなど。)と、自身が松本の気に障るようなことをしてしまったかもしれないと思う節がある点※の、2点を挙げている。
※明石は近年、自身がアスペルガー症候群であると公言しており、人の気持ちを考えたり人の顔を認識したりするのが元来あまり得意ではないことを、SNSで度々告白している。

 

ビーイング系アーティストの多数のアレンジを担当 93年には驚異的売上を記録

また明石は、B’zと並行してZARD、WANDS、大黒摩季、T-BOLAN、TUBE、MANISHなどのビーイング所属のアーティストのアレンジも担当。1993年のアレンジャー(編曲家)別売上ランキングでは1位の葉山たけしに次いで2位にランクインし、また松本孝弘との連名で、3位にもランクインした。(名義が同一であれば、実質1位の記録である。また、明石のアレンジを長戸大幸が気に入っていたため、当時ビーイングに採用された葉山たけしと池田大介は、明石のアレンジを真似するよう指示されていたという。)このように、明石は、アレンジャーとして名実共に、日本の音楽史に名を刻んでいる。

 

AKASHI MASAO GROUP結成の後、ビーイング離脱 フリーのプロデューサーへ

さらに1994年には自身のブルースを基調としたバンドAKASHI MASAO GROUP(通称AMG、アーマーゲー)を結成。バンドは大阪のライブハウスを中心に活動していたが、1997年に活動を休止し、さらに1998年には、明石とビーイングとの契約が解消となった。(その理由として明石は、ビーイングの制作が大阪拠点となったこと、外部での仕事をし始めたことの2点を主に挙げている。)

以後明石は、フリーの音楽プロデューサーに転身。「SIAM SHADE」や「Janne Da Arc」、「La’cryma Christi」などのヴィジュアル系の系譜を持つバンドに加え、島谷ひとみ、V6、華原朋美、西城秀樹、アリスなどの著名なミュージシャンとも、仕事を共にした。また2003年にはリットーミュージックから、著書『音楽を作る売るという仕事―そこが知りたかった!ギョーカイの掟83』を出版している。

現在は「洗足学園音楽大学」の教授に さらにYouTuberなどの活動を積極的に展開中

そして2008年、田村直美のアルバム『Rockfield willow』のツアー巡業で洗足学園音楽大学のロック&ポップスコースを率いる前野知常がサポートキーボディストとなり同校でリハを行った際、明石が学校の環境に惚れ込み、教鞭をとりたいと直談判。その後、講師業に従事し、やがて同校同コースの教授となった。

また、2018年2月には、自身が還暦を迎えたことなどをきっかけとしてTwitterアカウントを開設。今後インターネットを活用して様々な活動に取り組んでいくことを、明かした。
なお、2021年時点では、翌年以降でさらにYouTubeなどを活用し、YouTuberとしての活動(楽曲解説など)、メンタル心理カウンセラーとしての活動(資格を取得済み)、オンラインレッスンの活動などに注力していくことを、宣言している。

明石昌夫が参加したB’zのライブツアー

明石昌夫がマニピュレーター、ベーシストとして参加したB’zのライブツアーの一覧は、下記の通りである。(『B’z LIVE-GYM ’91-’92 “IN THE LIFE”』までマニピュレーター表記あり。以後はベーシスト。)

  • B’z LIVE-GYM #00 “OFF THE LOCK”
  • YAMAHA BAND EXPLOSION
  • B’z BAD-CLUB-GYM
  • “B’z LIVE-GYM #001 “OFF THE LOCK”
  • B’z CAMPUS-GYM “OFF THE LOCK”
  • “B’z LIVE-GYM “BREAK THROUGH”
  • SF Rock Station F.O.D thank you live in NEMU
  • “B’z LIVE-GYM ’90-’91 “RISKY”
  • COME ON JTB B’z WAVE-GYM SPECIAL EVENT
  • B’z LIVE-GYM “Pleasure ’91”
  • Z’b LIVE HOUSE TOUR
  • B’z LIVE-GYM ’91-’92 “IN THE LIFE”
  • B’z LIVE-GYM Pleasure ’92 “TIME”
  • B’z LIVE-GYM ’93 “RUN”
  • B’z LIVE-GYM Pleasure ’93 “JAP THE RIPPER”
  • B’z LIVE-GYM ’94 “The 9th Blues〈PART1〉
  • B’z LIVE-GYM ’94 “The 9th Blues〈PART2〉
  • SECRET GIG “Merry Xmas メリーさんの羊が一匹・聖しこの夜”
  • B’z LIVE-GYM Pleasure ’95 “BUZZ!!”
  • B’z LIVE-GYM ’96 “Spirit LOOSE” SHOWCASE
  • B’z LIVE-GYM ’96 “Spirit LOOSE”
  • B’z LIVE-GYM Pleasure ’97 “FIREBALL”
  • 初参加ライブ:『B’z LIVE-GYM #00 “OFF THE LOCK”』1989年6月1日(木)名古屋市芸術創造センター公演
  • 最終参加ライブ:『B’z LIVE-GYM Pleasure ’97 “FIREBALL”』1997年4月2日(水)大阪ドーム公演

明石昌夫は、通算424公演のB’zのライブに出演している。

明石昌夫の最新ニュース・新曲・ライブの話題

明石昌夫に関する最新ニュース・新曲・ライブの話題は、下記一覧をご覧ください。

B’z元アレンジャー・明石昌夫氏、1年ぶりにYouTube動画を投稿
明石昌夫、本格的にYouTuberへ 音楽解説動画の投稿開始
明石昌夫が65歳に 記念にYouTube生配信でファンと交流
“YT”がB’zライブに「ベース」で参加し話題に 異例の”スライド出演”
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B’zのサポートメンバーに関する最新ニュース・新曲・ライブの話題

B’zのサポートメンバーに関する最新ニュース・新曲・ライブの話題は、下記一覧をご覧ください。

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モヒニ・デイのビルボード来日公演にB’zが祝花
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