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「B’z」と「T-BOLAN」の知られざる関係 ”もし売れなかったら一緒に塾でもやろう” #稲葉浩志 #森友嵐士 #TBOLAN

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交友関係

先日、90年代にミリオンヒット作品を連発したロックバンド「WANDS」の再始動が発表されたことが話題となりましたが、このように近年は、往年のアーティストの復活が目立っています。

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同じく90年代にヒット曲を数多く世に送り出してきたバンド「T-BOLAN」もまた、2010年代に入ってから再結成、活動再開を果たしており、現在精力的に活動を行っています。

そこで今回は、日本を代表するロックユニット「B’z」と伝説のロックバンド「T-BOLAN」の知られざる関係についてまとめさせていただきました。宜しければ是非ご覧ください。

B’zは1988年デビュー、T-BOLANは1991年メジャーデビュー ともに「ビーイング」から

B’zは1988年9月にシングル「だからその手を離して」とアルバム『B’z』リリースでデビューし、
T-BOLANは1991年7月にシングル「悲しみが痛いよ」でメジャーデビューしました。

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しかしT-BOLANはメジャーデビュー前の1988年7月から「BOLAN」としてインディーズで活動しており、年間100本以上のライブを敢行。度重なるメンバーチェンジと、楽曲制作における様々な試行錯誤を経てから、メジャーデビューに至っています。

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デビュー直後の稲葉浩志さん、T-BOLANのライブにゲスト出演していた

そして、B’zのヴォーカル・稲葉浩志さんは、デビュー直後の時期にT-BOLAN(当時は「BOLAN」)のライブに”スペシャル”ゲストとして出演していました。

稲葉さんはヴォーカリストとしての経験を積むためにT-BOLANのライブに約20本以上参加。
ステージでビートルズなどの洋楽のナンバーをセッションしたことが明らかになっています。

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森友嵐士さんは稲葉浩志さんと”売れなかったら塾でもやろう”と語り合っていた

そしてさらにライブで共演していた当時、T-BOLANのヴォーカル・森友嵐士さんと稲葉浩志さんが”売れなかったら塾でもやろう”と語り合っていたことが、後に稲葉さんや森友さんの発言によって明かされています。

実は森友さんは東海大学理学部化学科卒業を卒業し、高校の「化学」の教員免許を取得しており、
稲葉さんは横浜国立大学教育学部を卒業し、小学校と高校の「数学」の教員免許を取得。

ともに教員免許を持つ二人にとっては、これはかなり”現実味を帯びた”語らいだったのかもしれません。

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安宅美春のアルバム『孤独のRUNAWAY』ではB’zプロデュース&コーラスと森友さん覆面ヴォーカリストで共演

また1990年12月10日にリリースされた女性ギタリスト安宅美春さんのデビューアルバム『孤独のRUNAWAY』では、B’zがプロデュースを行い、稲葉さんがコーラスで参加。そして4曲目収録の「IMAGE DOWN」(原曲:BOOWY)では、覆面ヴォーカリスト「早尻翔介」の名前でT-BOLANメジャーデビュー前に森友さんが参加を果たしており、両者はアルバムで事実上”共演”を果たしています。

B’z「ALONE」のイントロはT-BOLAN「Bye For Now」のイントロを超えた?

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またB’zとT-BOLANの共通点として、同じ音楽事務所・ビーイングに所属していることから、タイアップ先や共同作業者が挙げられます。

B’zの「愛しい人よGood Night…」とT-BOLANの「悲しみが痛いよ」はテレビ朝日系ドラマ『代表取締役刑事』エンディングテーマとして起用されており、またB’zの「ALONE」とT-BOLANの「離したくはない」は関西テレビ・フジテレビ系ドラマ『ホテルウーマン』主題歌に起用されました。(「離したくはない」はT-BOLANブレイクのきっかけとなったシングル)
⇒名曲揃い!B’zのドラマ主題歌まとめ

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さらに編曲家の明石昌夫さんが、B’zとT-BOLANの楽曲の編曲を行っています。
明石さんは、前述のB’z「ALONE」(1991年10月)の編曲を松本さんと共同で行っており、イントロのオーケストラヒットを駆使した印象的なフレーズが好評だったことを後のインタビューで告白。(そのフレーズ自体は松本さんが考案)

さらにその後、各クライアントから「ALONE」のようなイントロを作ってくれと嘆願され、どうやって「ALONE」を超える作品を作るか大変悩まれた模様で、T-BOLAN「Bye For Now」(1992年11月)で、同じく印象的なオーケストラヒットのフレーズを作られた際には、松本さんから「『ALONE』よりいい」と称賛された模様です。

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森友嵐士さん、B’zのライブを観賞 しばし松本さん、稲葉さんと談笑する

そして2006年8月27日、森友さんが『B’z LIVE-GYM 2006 “MONSTER’S GARAGE”』京セラドーム大阪公演をご覧になったことが、B’zファンクラブ会報誌のインタビューや森友さんのラジオ番組でのご発言によって明らかにされています。

ライブを訪れた森友さんは、ステージを終えた松本さん、稲葉さんを電撃訪問し、久々の再会。
”久しぶり!””変わってないじゃん”等々の挨拶をお互いに交わし、さらにその後かつてのビーイング時代のお話や、森友さんの国歌独唱(2006年8月2日横浜アリーナでのボクシング「亀田興毅×ファン・ランダエタ」WBA世界ライトフライ級王座決定戦にて)のお話をなさった模様です。

まとめ~T-BOLANの歴史を振り返る~

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さて、ここからは、T-BOLANのメジャーデビュー後の歴史を振り返ってみたいと思います。

T-BOLANは90年代に「離したくはない」「じれったい愛」「Bye For Now」「マリア」など数々のヒット曲をリリースしており、彼らのCD総売上枚数は約1700万枚以上と言われています。

しかし1995年3月以来、森友さんの喉の不調でライブ活動はストップし、CDリリースも激減。1999年12月に、T-BOLANは解散してしまいます。

その後メンバーはそれぞれの道に進みましたが、森友さんは2005年頃から音楽活動を再開し、2009年にはソロシンガーとして約10年ぶりにステージで復活。
さらに森友さんが「心因性発声障害」との診断を受けていて、歌うことや話すこともままならなかったためT-BOLANが活動を終えざるを得なかったこともメディア等で明らかにされ、このことが世間で度々話題になりました。

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そして2012年には、ついに「T-BOLAN再結成」を発表。「BEING LEGEND Live Tour 2012」ツアー16都市18公演にFIELD OF VIEW、B.B.QUEENS、DEENと共に参加しました。

さらに2014年には約19年ぶりの単独ライブ「T-BOLAN LIVE HEAVEN 2014 ~ Back to the last live !! ~」をオリックス劇場(旧大阪厚生年金会館)東京・渋谷公会堂で行い、ファンに完全復活した姿を見せつけました。しかし同ツアー追加公演の4月26日渋谷公会堂でT-BOLANは活動休止を発表します。

そして2015年3月、T-BOLANベーシスト上野博文さんがクモ膜下出血に倒れ、一時は寝たきりの状態で生死の淵をさまよう事態に陥りました。ところがその後、奇跡的な回復を見せ、上野さんは無事退院を果たされます。そして2016年12月31日に<T-BOLAN 一夜限りのカウントダウンLIVE>を、上野さんの回復のためにと、東京 豊洲PITで開催する運びとなりました。

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さらに2017年5月にはT-BOLAN活動再開を発表。上野さんの「LIVEをやりたい、ステージにもう一度立ちたい」という願いにメンバーが応え、アコースティックツアー『T-BOLAN LIVE HEAVEN 2017 夏の終わりに「再会」 ~Acoustic Live Tour~』を開催しています。

2018年と2019年にはインディーズデビュー30周年を記念した全国ツアー『T-BOLAN 30th Anniversary LIVE Tour「the Best」~励~』を行っており、さらに2020年には全国ツアー『T-BOLAN LIVE HEAVEN 2020 「the Best」~繋~』の開催を発表。
T-BOLANは今現在、まさに積極的な活動を展開しています。

絶望の状況から復活を遂げた森友さん、T-BOLAN。

ここまでご覧いただきありがとうございます。
「B’z」と「T-BOLAN」の知られざる関係についてまとめさせていただきました。いかがでしたでしょうか?

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前述のように、森友さんはT-BOLAN全盛の時代に喉の不調に陥り、さらに「心因性発声障害」に罹患したことで歌うことができなくなり、またT-BOLANの活動にも一度終止符が打たれました。

森友さんは2017年7月19日放送のフジテレビ系情報バラエティ番組『バイキング』内の特集インタビューで、当時声の不調で活動休止に追い込まれていた時のことを回想し、「一番歌えなくなって苦しかったのは、周りの仲間たちの成功を素直に喜べなくなる自分が生まれたこと」「90年代同じ事務所でB’zの稲葉(浩志)だったり、大黒(摩季)…そういう仲間たちがいるわけじゃないですか」「街にあの当時すごく流れるでしょ?聞こえてくるわけ新曲とか」「前は、”おぉいいじゃん”とか”いいねこの新曲”とかっていう話だったのに」「自分が歌えなくなったら…やっぱこう…なんで俺だけこんな目にあっちまうんだろうな…みたいな」と当時の心境を赤裸々に告白されています。

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まさに天職であるとも言える”歌うこと”を奪われてしまった当時の森友さんのご心境は、想像を絶するものだと思われます。当時のエピソード自体は森友さんの口から様々なメディアで語られていますが、その辛さはご本人しか分かり得ない、甚大なものだったのだろうと推察します。

しかしながら、そのような状況に追い込まれた後に、徐々にリハビリを行い、今このように”完全復活”を遂げられたことこそが、何より森友さんの素晴らしいところであるということを改めて実感いたします。

T-BOLANのギタリスト・五味孝氏さんらが森友さんの歌のリハビリに付き添われたことや、B’zのお二人が森友さんとの再会を喜ばれたこと、そして大黒摩季さんが森友さんのことを”兄貴”と呼び慕っていることには、全て森友さんの実直なお人柄が投影されているのではないでしょうか。

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そしてその後、ベーシスト・上野博文さんが病に倒れるという大きな困難が起こりましたが、バンド「T-BOLAN」は完全復活。

いくつもの障壁を乗り越えた「T-BOLAN」は今、ゆるぎないものになっています。
今後のT-BOLANが作り上げる”伝説”にも注目したいところです。

以上、「B’z」と「T-BOLAN」の関係についてまとめさせていただきました。ご覧いただきありがとうございました。

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