2019年5月27日(月)、音楽ユニット「ZARD」のヴォーカル・坂井泉水さんの十三回忌がしめやかに迎えられ、東京と大阪に設置された献花台には多くのファンが駆け付け、坂井さんを偲びました。
また、本年10月24日(木)には坂井さんが書き残した歌詞の創作メモなどが初掲載されたオフィシャルドキュメントブック「永遠 ~君と僕との間に~」の発売が決定し、ファンの方々に話題となっています。
さて、そんな「ZARD」ではありますが、日本を代表するロックユニット・「B’z」とは、これまでに様々な接点を持ってきました。
そこで今回は、「B’z」と「ZARD」のこれまでの関係性について、時系列でまとめさせていただきました。宜しければ是非ご覧ください。
B’zは1988年に、ZARDは1991年に「ビーイング」からデビュー
B’zは1988年9月21日に、シングル「だからその手を離して」とアルバム『B’z』でデビューを果たしました。
一方ZARDは1991年2月10日、シングル「Good-bye My Loneliness」でデビューしています。
実はB’zとZARDはともに音楽制作会社「ビーイング」からデビューしており、プロデューサー・長戸大幸さんの手によって結成されたという大きな共通点があります。
またB’zのアレンジャー、サポートベーシストとして活躍した明石昌夫さんは、ZARDのアレンジャーとしても数多くのヒット曲を手掛けていることで有名です。
デビュー以降、B’zとZARDはそれぞれにアーティストとしてのキャリアを積み重ねられましたが、同じ「ビーイング」に所属していることもあり、アレンジャーの徳永暁人さん、サポートギタリストの大賀好修さん、大田紳一郎さんなど、双方のアレンジャー、サポートメンバーを務めたミュージシャンが数多く存在しています。
坂井泉水さんは、B’z松本さんのラジオ番組に出演したことも
またZARDの坂井泉水さんは、B’zの松本孝弘さんがパーソナリティを務められていたラジオ番組「BEAT ZONE」に何度か出演したことがあります。
その中では松本さんと坂井さんの流暢で微笑ましい会話が交わされており、今となっては同番組でのトークの機会は非常に貴重なものであったと言えるでしょう。
1992年のZARDミュージックステーション初出演時には、B’zはレコーディング作業を全てストップし、レコーディングエンジニアの方も含めた全員でテレビにて鑑賞されたそうです。松本さん曰く、”画面に釘付け”になったということでした。
1992年ミュージックステーションでB’zとZARDが共演
また1992年10月16日放送の音楽番組「ミュージックステーション」では、B’zとZARDが史上唯一、同じ放送回に出演する場面が見られました。
番組でB’zは最新シングル「ZERO」、ZARDは最新シングル「IN MY ARMS TONIGHT」を披露されています。
また番組内に設けられた、歌詞の一部を空欄にして思い付いたワードを入れる大喜利のコーナーでは、B’zの稲葉さんがZARDの「IN MY ARMS TONIGHT」の歌詞に「いつも 忘れないでいるわ そう(社長さん)のことだけ たまには(指名)して」と回答を発表し、周囲の意表を突いた絶妙な回答によってスタジオを沸かせていました。
90年代末から現在までに「名探偵コナン」主題歌を数多く手掛ける
また、1990年代末からこれまでにかけて、B’zとZARDはアニメや劇場版の「名探偵コナン」主題歌を数多く手掛けてきたことでも有名です。
B’zとZARD共に、「名探偵コナン」の主題歌は合計9曲手掛けています。
一説によれば、原作者の青山剛昌さんがB’zとZARDのファンであったことにより、「名探偵コナン」の主題歌が、両者が所属する「ビーイング」のアーティストに依頼されるようになった、とも言われています。
2003年、松本さんソロアルバム『THE HIT PARADE』収録「異邦人」でコラボ実現
2003年8月27日にシングルとして発売され、また11月26日に発売された松本孝弘さんの邦楽カバーアルバムに収録された久保田早紀のカバー楽曲「異邦人(featuring ZARD)」では、ついにB’z・松本さんとZARD・坂井さんのコラボレーションが実現しました。
■「異邦人」についての記事はこちら>>
公開されたミュージックビデオでは、真剣にレコーディングに挑む松本さん、坂井さんの貴重な映像が見られます。
2004年、ZARDライブをB’zの二人が観覧
また、2005年3月19日に放送されたラジオ番組「オールナイトニッポン」では、B’zのお二人がZARDのコンサート(2004年の「What a beautiful moment Tour」だと思われます。)をご覧になったことをお話されました。
お二人は”いいコンサートだったと”しみじみと語り、また松本さんは「歌すごくよかったよね。」とコメントされています。
2007年、坂井さん逝去。B’zから追悼コメントが発表される
2007年5月26日、当時病気療養中だった坂井泉水さんは、入院していた慶応大学病院(東京都新宿区)の病棟脇の階段2階部分のスロープから転落しているのを通行人に発見され、翌27日に脳挫傷により40歳の若さで逝去されました。
病室では詞を書き溜めていたり、プロデューサー・長戸大幸さんと仕事について電話で話したりするなど、 復帰に向けて意欲的な姿勢を見せられていたということです。
当時坂井さんの逝去は日本中に衝撃を与え、連日ニュースなどでの報道が相次ぎました。
東京と大阪にはファンのための献花台が設置され、多くのファンが献花に訪れました。
また逝去から1ケ月後の6月26日には東京・青山葬儀所で「ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会」が関係者向けに行われ、作曲家として度々タッグを組んだ織田哲郎さん、コーラスなどで共演した大黒摩季さんらが参列されました。
また、B’zの松本孝弘さん・稲葉浩志さん、倉木麻衣さん、作品でコラボした読売巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄さんらが坂井さんに追悼のコメントを寄せられました。
B’z松本孝弘さん・稲葉浩志さんの追悼コメント
あまりに突然の悲しい知らせに愕然たる思いでした。
本当に残念ですが、彼女の美しい歌声と、作品はこれからも多くの人達の心の中で生き続ける事でしょう。
坂井さんの様な素晴らしいミュージシャンと共に仕事をさせて戴いた事を光栄に思います。
心よりご冥福をお祈り致します。
B’z 松本孝弘坂井さんには、まだまだ歌いたい言葉がたくさんあったのだろうなと思うと、ただただ胸が痛みます。
ステージで1曲ずつひたむきにまっすぐな声で歌いあげる姿は今も胸に焼きついています。
素晴らしい歌声をありがとうございました。
B’z 稲葉浩志
まとめ
ここまでご覧いただきありがとうございます。
日本を代表するアーティスト「B’z」と「ZARD」の関係性についてまとめさせていただきました。
いかがでしたでしょうか?
「B’z」のお二人も、「ZARD」の坂井泉水さんも、“音楽に真摯に向き合う姿勢”には大変に共通する部分が見られると、筆者自身は強く感じています。両者に密な交流はなかった模様ですが、同じアーティストとして互いを尊敬し、共々に音楽活動に邁進されていたのではないでしょうか。
ともに日本の音楽シーンで圧倒的な実績を残した「B’z」と「ZARD」。
一方でファンとしては、B’zやZARDの音楽に「励まされた」、「元気づけられた」、「勇気をもらった」、「命を救ってもらった」など、様々な思い入れをお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
坂井さんが逝去されて約12年が経過しましたが、これからも「ZARD」の作品が人々の心に生き続けることを、筆者自身願っております。
以上、日本を代表するアーティスト「B’z」と「ZARD」の関係性についてまとめさせていただきました。ご覧いただきありがとうございました。
コメント