「せーの、おつかれー!!」(せーの、お疲れー!!)とは、ロックユニット「B’z」のコンサートのエンディングで行われる定番の挨拶。
概要
全楽曲の演奏終了後にメンバーが横一列に並び、ヴォーカル・稲葉浩志が観客に簡単な挨拶を述べた後に、この挨拶が行われる。稲葉が「せーのっ」と言うのを合図に、メンバーと観客が同時に「おつかれー!(お疲れー!)」と言いながら右こぶしを突き上げる。
またこの挨拶が終わった後には、会場に「LIVE-GYM」のテーマソング「ひとりじゃないから -Theme Of LIVE-GYM-」ないしはEDSE(エンディングSE、退場曲。未発表曲の場合が大半である)が流され、ギター・松本孝弘と稲葉が花道などに歩いていき各方面の観客に頭を下げるのが通例となっている。
ちなみにB’zのコンサートでは、観客が行う”決まりごと”は楽曲の振り付けなど以外ほとんど存在していないため、この挨拶はその数少ない一例であると言える。
動作のやり方
ヴォーカル・稲葉が「せーのっ」と言った後に、メンバーと観客が同時に「おつかれー!」と言う。
またその時に身体の動作を伴い、「おつか」のタイミングで身体の右後方の位置で右のこぶしを左の手のひらに当て(右のこぶしを左手で包み込むとも表現できる、またこの時右半身が後ろに下がるイメージになる)、「れー」の部分で右腕を上の方に突き上げる。例えるなら、野球の投球動作(ボールを投げる動作)に近いと言ってもいいかもしれない。
いつから始まったのか
「せーの、おつかれー!!」という挨拶がいつから始まったのかについては近年、公式的には不明とされてきた。しかし文献がある。
『THE BEST★HIT』1990年6月号には、1990年3月29日開催の『B’z LIVE-GYM “BREAK THROUGH”』神奈川県民ホール公演のライブレポートと終演後のインタビューが掲載されており、その中で次のような記述がある。
先月号の山中湖での撮影の時、カメラマン黒澤氏が終わったとたん片手を勢いよく上げ「お疲れ様でした」と叫んだ。そのあまりのパワーにメンバーは大ウケ。ところがそれをライブのエンディングで松本、稲葉両氏とサポートメンバーが「おつかれさまでした」とやったのだ!それに合わせて会場全体も!!リハーサル中にふざけてやっているだけかと思ったのに……産みの親、黒澤共々、ただア然。「渋公(渋谷公会堂、5月8日)までに定着させよう。B’zが解散するまでやりますよ」と不敵に笑う松本、稲葉。このポーズの秘密、本誌読者しか知らないよ!
『THE BEST★HIT』1990年6月号より引用
つまり同記事によると、B’zが「せーの、おつかれー!!」という挨拶をライブでやり始めたきっかけは、『THE BEST★HIT』1990年5月号の山中湖での撮影時にカメラマンの黒沢誠が行った挨拶がメンバーにウケたことであり、また「せーの、おつかれー!!」という挨拶を実際に始めたのは1990年3月29日開催の『B’z LIVE-GYM “BREAK THROUGH”』神奈川県民ホール公演だった、ということになる。(同ツアーはこの前に2公演行われているが、同文で黒澤氏が啞然としたとの記述があるので本公演で初披露だったと考えるのが自然である。)
また、この時は 「せーの、おつかれー!!」ではなく「おつかれさまでした」という文句だったのがこの記述からわかる。さらに、『GB』1990年6月号ではメンバーが右手を挙げるポーズをしている写真が掲載されているため、動作が初期からほぼ変わっていないことも分かる。
さらに2008年開催の『B’z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-』ツアーのパンフレットに掲載されたインタビューにおいても、松本・稲葉が黒澤氏の挨拶をきっかけに「せーの、おつかれー!!」という挨拶をやり始めたことを語っていた。
よって、この説は限りなく正しいと言えるだろう。
例外(音楽フェス出演時など)
基本的に、B’zの全ての主催ライブにおいてこの挨拶が行われる(対バン形式の『B’z presents UNITE #01』でも、ほぼ説明がない状態でこの挨拶が行われた)。一方で音楽フェスに出演した場合などには、この挨拶を行わない。他方、『テレビ朝日ドリームフェスティバル2011』では間違ってこの挨拶をしてしまい、稲葉が笑う場面があった。
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