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稲葉浩志(B’z)の高校時代の大学受験勉強秘話

B'z稲葉浩志の母校・横浜国立大学の画像 エピソード
画像出典:筆者撮影

毎年1月中旬になると、多くの受験生が志望校合格に向けて大学入学共通テスト(旧:センター試験/共通一次試験)に挑むが、果たして日本のロックユニット「B’z」のヴォーカリスト・稲葉浩志は高校時代、どのような受験勉強の日々を送っていたのだろうか?筆者がまとめた。

稲葉浩志、岡山県立津山高等学校へ 勉学とテニス部活動を両立し真面目な学生生活を送る そしてバンド活動へ

稲葉浩志は、地元の津山市立津山東中学校(岡山県津山市)から、進学校・岡山県立津山高等学校(岡山県津山市)に進学。高校時代は、勉強と部活(テニス部に入部)に勤しむ毎日を送っていた。周囲からは、真面目な人柄であると評価されていたようである。

そして高校2年生のある日、テニス部で声を出す姿に目を付けていた、当時ギター少年だった同級生の頼経英博さんに突然、バンドのヴォーカルに誘われることとなる。
バンドの名前は、”それが落ちたら世界が終わる”という意味を込めた『ICBM』。
そこからメンバーは、バンド「LOUDNESS」の完全コピーを目指して、日々練習を重ねるようになっていった。

 

高校3年生の時に文化祭出演! しかしバンドと恋愛に気を取られ成績が下降し担任の先生に心配される

そして高校3年生の時の文化祭『十六夜祭』(1982年9月13日)で、稲葉浩志がヴォーカルを務めた『ICBM』は弓道場、体育館のステージにて2度演奏を披露。当日稲葉は練習のし過ぎで喉を潰していたというが、それでも、ハイクオリティのパフォーマンスに多くの聴衆は、拍手喝采したという。

さて、この時稲葉がステージに立ったということは、稲葉が高校3年生の秋までバンド活動に取り組んでいた、ということである。実はバンド活動にのめり込むあまり、当時稲葉の学業の成績は、下降の一途を辿っていったのであった。
またさらに、同年の初夏の頃から稲葉には同じテニス部内で”彼女”ができ、恋愛関係を育んでいた。

この状況下で稲葉は、夏の保護者面談において、担任・黒瀬定生さんに、バンド活動を辞めるように説得されてしまう。また同時に、”稲葉、大丈夫なのか、恋愛なんかしていて”とたしなめられてしまったようである。

しかし稲葉はその場をやり過ごし、バンド活動も恋愛関係も、卒業まで継続。(卒業後は遠距離恋愛になって、自然消滅したとのこと)
バンドを続ける様子を見ていた黒瀬さんは、後のインタビューで当時の稲葉について、「担任としてはまいりましたが、信念を感じましたよ。」と語っている。

 

しかし成績はなかなか戻らず 横国志望も直前のプレテスト結果実らず、発奮して最後の一週間で猛勉強

このように自らの信念を貫いた稲葉だったが、受験勉強の道は大変だったようだ。
稲葉は中学3年生の時に担任だった理科の先生に憧れたこと(また当時ドラマ『金八先生』が流行っておりこれにも影響を受けたという)や、”横浜”という土地の響きに魅力を感じたことなどの理由で、横浜国立大学教育学部への進学を志望。

もちろん、第一志望校への現役合格を目指していたが、バンド活動が終わった後も成績はなかなか戻らず、共通一次試験(大学共通第1次学力試験)直前に受けたプレテストでは、非常に厳しい判定結果に直面してしまったのであった。

だがしかし、そこで終わらないのが、稲葉浩志という人物だ。稲葉はこの時大いに発奮し、”今までの人生の中で一番勉強した”という程に、試験本番までの一週間で猛勉強をしたのであった。

 

稲葉浩志の受験勉強方法は独特だった? ”画鋲”まで使用…しかし最終的には「朝型」を推奨

またちなみに、この時の稲葉浩志の受験勉強の方法には、”意外な”ものもあったようである。
稲葉は2016年1月にニッポン放送『オールナイトニッポンGOLD』でパーソナリティを務めた際、センター試験に関連する話題として、自身の当時の勉強法を告白。ラジオ番組や音楽をかけながら「ながら勉強」をしていたことや、幾つかの失敗を経て最終的に「朝型」の勉強法にシフトしたことを、語った。

稲葉はその具体的な失敗談として、抗えない眠気が襲ってきた際のエピソードを披露。
「椅子に座ったままのけ反り、後ろにある本棚の上に自分でばら撒いた画鋲が後頭部に突き刺さって目が覚めた」というエピソードと、「姿勢を変えるために電気ストーブの前で椅子に座って前かがみで問題集を見ていたら、眠気が襲ってきて問題集が電気ストーブの上に落ち、そしてそれを放置して寝ていたら問題集が燃え始めて父親に”火事じゃ!火事じゃ!”と叫ばれた」というエピソードを、披露した。
これには進行役の吉田尚記アナウンサーも思わず驚愕。どちらの勉強法も、かなり危険でかつ独特なものであったと言えるだろう。

なお稲葉は、エピソードの最後に苦笑いしつつ、「無理して夜やるんだったら朝起きろ、ってことですね。」と結論付けている。

トラブルないこと祈りつつ…共通一次試験(センター試験/大学共通テスト)を無事受験

さて、そんな猛勉強の末迎えた共通一次試験当日だが、”お腹が痛くならないように””隣の席に鉛筆の音を立てる人が来ないように”と祈っていたという稲葉は、大きなトラブルに巻き込まれることなく、受験することができた。またその試験結果の詳細は公には伝えられていないが、稲葉の当時の得意な教科は主に、英語、数学(数Ⅱ・B)などであったという。(共通科目の他の科目には、「政経」などを選択したらしい。)自己採点の末にはある程度納得のいく結果が得られたとみて差し支えないだろう。

そして横浜国立大学教育学部に現役合格 在学中には教員免許も取得

そしてこのような勉強の甲斐もあって、稲葉は、見事第一志望の横浜国立大学教育学部に合格。また同時に、関西学院大学にも合格していたという。

その後横浜国立大学では中学校教員養成課程(数学)を修め、在学中に教員免許(小学校教員免許と高等学校教員免許)を取得したのであった。

今では稲葉浩志が横浜国立大学教育学部出身であることや教員免許を取得していることは、多くの人に知られる事実となっているが、その裏側には、一筋縄ではいかない様々なストーリーが存在していた。

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