稲葉浩志『en-Zepp』『enⅣ』セトリ一覧はこちら
PR

阪神・淡路大震災から29年 当時B’zは寄付、真っただ中で「love me, I love you」制作

神戸市役所から、市街地を眺めた写真 歴史
画像出典:筆者撮影

神戸市などで最大震度7を観測し6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から、きょう2024年1月17日で、29年となる。

B’zは当時、被災者への救援金として1000万円の寄付を行っている。
さて、稲葉浩志(Vo)が同震災に関して言及した内容が、昨年7月に発刊された著書『稲葉浩志作品集「シアン」特装版』に掲載されているので改めて紹介する。

 

\Amazonブラックフライデー/

\11/29〜12/6の期間限定/


阪神・淡路大震災当時「love me, I love you」制作か 稲葉は直後に実家滞在 葛藤も

稲葉曰く、震災の真っただ中で、シングル曲「love me, I love you」(同年7月発売)の制作を行っていた記憶があるという。震災が起きた当時について、こう語った。

「東日本大震災もそうでしたけども、あの時は本当に、あまりにも自分にできることがなくて。震災が起きた時はいなかったんですけど、その数日後ぐらいに僕、実家にいたんですよ。岡山なので神戸は割と近くて、うちの実家からも、町内でそれこそ布団を集めたりしていて。物資を送るので、もうわっさわっさやっていて」

出典:『稲葉浩志作品集「シアン」特装版』p.156より引用

これについて、インタビュアーの宗像明将氏が「そういうタイミングだとミュージシャンの方って、自分にできることがないと悩んだりするじゃないですか。稲葉さんも葛藤されたんでしょうか?」と問うと、続けてこうも述べた。

「やれることがなくはないじゃないですか。実際に布団を送ることもできるし、現場に行くこともできる。ただ、『普段、自分が自信を持ってやっていることが、あんまり使えないな』っていうふうにはやっぱり思いました。しばらくすると、音楽が必要とされる時期が来るんだけど、その瞬間は『やっぱり無力だな』と思いましたね」

出典:『稲葉浩志作品集「シアン」特装版』p.156より引用

このインタビューから、当時自分に何ができるかについて悩みながら(無力さを感じながら)も、ミュージシャンとしてできること(音楽制作)に身を砕いていた様子が窺える。
なお松本孝弘(Gt)も、昨年放送のNHK『クローズアップ現代』に出演した際のインタビューで、過去の同震災などを引き合いに出された際に次のように語っている。

――いろんな時代の波がある中で、社会に音楽を届ける意義をどう感じてきましたか?

松本 :なにか大変なことがあると、まずは“音楽じゃない”じゃないですか。それこそ天災みたいなことがあると。正直、その瞬間はちょっと無力感を感じますよね。まずは食べることだとか、住むところだとか、やっぱりそういうところじゃないですか。少し余裕ができれば、音楽もみんなの後押しをできるタイミングがくるので、僕たちの順番が回ってきたときのためにちゃんと皆さんを応援できるような音楽は準備していましたけどね。

――求められたときのために。

松本 :僕らにできるのは音楽を創ることだけだから。

出典:NHKの公式サイト(https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pYjllzG99b/)より引用

ちなみにB’zが震災後に初めて神戸の地でライブを行ったのは、1996年3月開催の『B’z LIVE-GYM ’96 “Spirit LOOSE”』神戸ワールド記念ホール公演だった。同公演で稲葉は観客に向けて、通常時のセリフを変えて、こう言い放ったという。

「この街で、またこの言葉を叫ぶのをずっと楽しみにしてました。『B’zのLIVE-GYMにようこそ!!』」

 

B’zは2011年以降、災害復興支援にチャリティーグッズ収益金を寄付

B’zは東日本大震災が起こった2011年以降、チャリティーグッズの収益金を各災害の復興支援に寄付する活動を行っている。

B’zは世の中がいかなる状況になっても自分たちにできることをやり続けてきた。これによって、あらゆる意味で、多くの人たちが助けられてきたと言えるだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました