2020年1月17日(金)、阪神・淡路大震災が発生してからちょうど25年を迎え、被害を受けた地域では発生時刻に合わせて黙とうが行われました。また当日は、震災から25年を迎えたことを各メディアが大きく取り上げ、国民全体が改めて阪神・淡路大震災の発生を振り返り、被災者に追悼の意を捧げる機会となったと言うことができるでしょう。
さてそんな中、2011年から2018年まで日本のロックユニット「B’z」のサポートギタリストを務め、現在は歌手・倉木麻衣などのサポートギタリストを担当し、自身のバンド「Sensation」でも活躍する大賀好修さんが、自身の地元・兵庫県での阪神・淡路大震災の被災体験について、SNSで語りました。まとめさせていただきましたので、宜しければ是非ご覧ください。
元B’zサポートギタリスト大賀好修さん 阪神・淡路大震災の被災体験を語る
兵庫県出身で、2011年から2018年までロックユニット「B’z」のサポートギタリストを務め、現在は歌手・倉木麻衣のサポートギタリストなどを担当し、自身のバンド「Sensation」でもギタリストとして活躍する大賀好修さんが、阪神・淡路大震災発生から25年を迎えた17日(金)に自身のバンド「Sensation」のFacebookページを更新し、自らの被災体験を語りました。
大賀さんは震災当日、兵庫県にある実家に戻っており、実家で被災。地震の瞬間「トラックが家に突っ込んできたかのような衝撃」が襲いかかり、「外に出たら家の門が全て吹っ飛び あたり一面が少しガス臭かった」といいます。また停電により、神戸方面の悲惨な被害状況が分かっていなかったといい、夕方仲間に会うために車で向かった、当時働いていた音楽スタジオのテレビで、その状況を把握したということです。そしてそのまま、神戸市灘区に住んでいた知人のところに友人の原動機付自転車を借りてすぐに向かうことになり、その際に大賀さんは衝撃的な光景を数々目の当たりにすることとなります。
大賀さんは大阪から原動機付自転車で国道171号線を走行。その後関西学院大学前の通りを抜けようとした際に、阪急甲陽線・苦楽園口駅付近と思われる場所で、高架が崩れている「信じられない光景」を目撃したといいます。そしてそこを辛うじてすり抜けて国道2号線に合流すると、今度は当時国道2号線沿いにあった芦屋の「ヤナセ」付近から、神戸市長田区辺りと思われる場所が火の海になっている光景を目撃。その光景は「一生忘れられない」ということです。
その後灘区に到着すると、「被害が凄かった」とのこと。しかしながらその凄まじい被害状況の中でお互いに助け合う人々の姿に、「感動よりビックリした」といいます。
そしてこの凄惨な被災体験を長文で綴った大賀さんは、最後に「あれから25年 東日本大震災もそうですが 絶対忘れずにいて そして普段から色々と 皆が対策を練っておくのは 凄く大事だと改めて思いました。自分も言うだけでは無く準備、行動と改めて思いました。25年。改めて大震災で亡くなられた方々にご冥福をお祈りいたします。」と記し、震災から25年を迎えた自身の胸中の想いを述べられました。
大賀さんが震災当日に辿ったと思われる一部概要ルート(赤字塗りつぶし、不明箇所は空白)
⇦兵庫県神戸市灘区、長田区など方面
1.大賀さんが通った関西学院大学前
2.大賀さんが高架が崩れているのを目撃したという苦楽園口駅前付近
3.国道171号線から国道2号線に合流したと思われる箇所
4.大賀さんが長田区と思われる場所の火の海の光景を目撃したという”芦屋のヤナセ”付近※当時から移転している可能性あり
大賀好修さん Facebook全文
大賀さんがバンド「Sensation」のFacebookページに綴った阪神・淡路大震災に対する文章は下記の通りです。
大賀です。
阪神淡路大震災から25年が経ちました。
あの時
僕は実家にたまたま戻ってた日でした。寝てると突然
トラックが家に突っ込んできたかのような
衝撃が襲いかかりもの凄くビックリしたのと外に出たら家の門が全て吹っ飛び
あたり一面が少しガス臭かったのを
今も覚えてます。停電だったので神戸の方が
エライ事になってるのも夕方に大阪の当時働いてたスタジオに
車で行きテレビ見て知りました。
(行ったのは当時の仲間と連絡取り合う為です)神戸の灘区に知り合いがいたので
その日すぐに連れに
原チャ借りて向かいました。大阪から171号線を走りだしたのですが
前に進めないので途中関学前から
抜けようと阪急の線路沿い走ってたら
たぶん苦楽園駅?近くの高架が崩れてて……
(信じられない光景でした)崩れた高架は
原チャ1台だけは抜けるスペースがあり
そこを抜けて関学前通り
芦屋の2号線に出ました。当時の国道2号線の芦屋の
ヤナセ前近辺から見た
おそらく長田区辺りの火の海の光景は
一生忘れられない。灘区も着いたら被害が凄かったです。
ただ凄い被害に遭ってるのに
みんなで協力しながら頑張ってるのに
感動よりビックリしたの覚えてます。自分はそんな風に出来るか
自信無くて。大阪で買って原チャで持っていった
メロンパンと水が
なんか逆に恥ずかしかった……めちゃ覚えてる……
あれから25年
東日本大震災もそうですが
絶対忘れずにいてそして普段から色々と
皆が対策を練っておくのは
凄く大事だと改めて思いました。自分も言うだけでは無く準備、行動
と改めて思いました。25年。
改めて大震災で
大賀好修さんのFacebook「Sensation」ページ投稿より引用
亡くなられた方々にご冥福をお祈りいたします。
2013年には大賀さんが実家にシェーン・ガラースを招待
またちなみに、2013年9月14日(土)に行われたB’zデビュー25周年記念のベスト選曲ツアー『B’z LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER-』京セラドーム公演では、MCの場面で大賀さんが当時のサポートドラマー、シェーン・ガラースを実家に招待し、食事をともにしたことが明らかになりました。大賀さんが今回投稿した記事の中には、ご実家の被害状況の詳細については記載されていませんが、B’zの活動に関連した公の場面でご実家について言及された場面としては、この時が挙げられます。
なお、大賀さんは当時、3日間にわたる大阪公演中にご実家でゆっくりされたといい、大阪のことを「地元」と何度も表現されていたことから、大賀さんのご実家は、兵庫県の中でもかなり大阪寄りに位置しているのではないかということが推測されます。
まとめ
ここまでご覧いただきありがとうございます。
兵庫県出身で元B’zのサポートギタリスト・大賀好修さんが、阪神・淡路大震災での被災体験についてSNSで語ったニュースについてまとめさせていただきました。いかがでしたでしょうか?
大賀さんの口から、自身の被災体験について公の場で語られるのはおそらく初めてではないかと思われ、今回の投稿に驚かれたファンの方々が多くいらっしゃったのではないでしょうか。
阪神・淡路大震災当日、まさに死と隣り合わせの体験をした大賀好修さん。
その生きた体験が語られることには大変意義があり、また大賀さんの仰せの通り、震災のことを忘れずに、日ごろから防災・減災への準備や行動を取っておくことが重要であるということを、筆者自身も強く感じます。
そして改めて、阪神・淡路大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
以上、兵庫県出身の元B’zサポートギタリスト・大賀好修さんが、阪神・淡路大震災での被災体験についてSNSで語ったニュースについてまとめさせていただきました。ご覧いただきありがとうございました。
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