小室「まっちゃん(松本)が100万枚とか行ってて」エイベ松浦「B’zっていう考えは出なかった」YouTube対談で赤裸々に語る

エイベックス・松浦勝人氏と小室哲哉の対談動画でB'zについて言及した場面のキャプチャ画像ミュージシャン・関係者
画像出典:エイベックス・松浦勝人氏のYouTube動画より引用

エイベックスの代表取締役会長・松浦勝人氏のYouTubeチャンネルで30日に公開された動画に、盟友で音楽プロデューサーの小室哲哉が出演。両者が、密に活動していた1990年代から2000年代のことについて振り返る場面があり、その中で、ロックユニット「B’z」の話題が出た。

松浦氏はまず、当時の印象に残っていることとして、TMNのカバーアルバム(後の『TMN SONG MEETS DISCO STYLE』)のオファーをすべくキャピトル東急ホテル(旧)のラウンジ「ORIGAMI」で初対面した時に、小室から「僕、TMっていうのは、消しゴム作ったって何作ったって15万個売れる」と言われたことを挙げた。これについて小室は、「ミリオンっていう、(CD)100万枚売る人がどんどん出てきてて、サポートやってた”まっちゃん”っていうギター(松本孝弘)が、B’zが、もうガンガン100万枚とか行ってた時で、行き始めてた時くらいかもしれないんだけど。なので、ちょっとほんとに15万枚っていうのは今となっては凄いんですけど、その時はちょっといじけてたというか。どんどんTMとかから羽ばたいて卒業して行ったりとか、それじゃなくても僕のような感じの音の人たちとかが何十万枚、100万枚とかっていうので来たので、僕の想いとしたら、10万しか行かないですよ、何やってもっていう。期待に沿えないですよっていう。」とコメントした。(小室は、HOUND DOGのドラムス・橋本章司に褒められたことで、後に同作品が売れていることを実感したという。)

さらに小室は、「まぁ、心の中では、ぶっちゃけB’zとかに乗ってった方がほうが絶対いいよ、みたいな。売れるよっていう感じだったと思う。」ともコメント。これに松浦氏は「僕自分で貸しレコード屋やってて、TMNのアルバム出て、ぶわーって貸し出されるの目の当たりに見てて、まぁB’zっていう考えは普通に出なかったですよね。あからさまにTMNっていうことしかなくて、ユーロビートにするなら、ダンスミュージックにするならばっていうのは。」「ま、自分の思考がそっちだったのかもしれませんけど、小室さんっていうのはやっぱり分かっていて、そう、最初から、B’zっていうのはなかったですね、頭の中に」と返答した。

なお松浦氏は、26日に行ったYouTubeのライブ配信でも「B’zについて語ってください」と視聴者に問われ、「なんで俺がB’zについて語るの。小室さんが松本さんと親しいけど、そこでまぁ、会ったことがあったっけ…俺ね会ったことあっても忘れちゃうんだよね。」「B’zは凄いよね…小室さんも言ってた。そういうの横目で見てて焦った時期があるって言ってたよ。」「語れるほど知らないのに偉そうに語るのはできないんで、ほんとに凄い人たちだと思います。以上。」などと語っていた。

小室哲哉とエイベックス・松浦勝人氏の関係について

小室は1980年代、「TM NETWORK」(1990年より一時期「TMN」)のメンバーとして活躍。当時、EPIC/SONY RECORDS(ソニー)に所属していた。一方松浦氏は1988年に貸しレコード・卸売業を行うエイベックス・ディー・ディー株式会社(現:エイベックス株式会社)を設立。そこで、洋楽で流行っていたユーロビートに目を付け、1990年代初頭には国内のディスコで流れるコンピレーション・アルバムを制作していった。

この時、エイベックスではアーティストがいないことが課題であり、「企画もので10万枚売れるものを4つ作らないと会社が潰れる」と言われていたという。そこで、松浦氏は、レコード会社の垣根を超えた当時では常識外れの提案を行う。それは、TMNのカバーアルバムをエイベックスで作る、というものだった。(当時は邦楽曲を英詞でカバーすることが流行っていた)

もちろん、ソニー側は難色を示したが、松浦氏は千葉龍平氏(元エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社 代表取締役副社長CSOなど)の仲介などを挟みながら、小室に直接アプローチして許可を取る、という戦法で局面を打開していく。その後、作品のタイトル※などでソニー側と粘り強い攻防を繰り広げつつも、遂に『TMN SONG MEETS DISCO STYLE』(1992)の発売(※『TMN MEETS』はソニー側から却下された)を実現させた。(ちなみに小室は今回の動画で、当時のソニーについて、保守的であり、自分が提案したことがなかなか実現しない状況だった、とも語った。)またこれに、セールス実績も伴った。

以後、小室とエイベックスの関係は強固なものに。1990年中頃にかけて、TRF(デビュー時は「trf」)、globe、安室奈美恵、華原朋美ら”小室プロデュース”のアーティストが世の中を席巻していった。一方、1990年代終盤から2000年代前半に両者の関係は徐々に解消され、エイベックスはhitomi、浜崎あゆみら自社発のヒットアーティストを確立。1999年に、一部上場を果たした。また小室は、2008年に詐欺容疑で起訴され、2009年に刑が確定。この時、松浦氏が被害者に対する解決金・遅延損害金約6.5億円をポケットマネーで立て替えたことも話題となった。小室はその後、週刊誌報道などで一時引退していたが、現在は音楽活動に復帰している。

松浦氏は小室を日頃から「天才」と呼んでおり、YouTubeの生配信で、「僕は、なんだかんだありますけど、(小室を)支えてあげたくなっちゃうんですよね」「やっぱり小室さんあってエイベックスがあったのは間違いないんで、そこはやっぱり死ぬまでのお付き合いになると僕は思ってます」と語ったこともある。両者の関係は、今後も様々な形で継続していくものと思われる。

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