こんにちは。「B’z 超まとめ速報」(@bztakkoshicom)です。
2019年は、平成に代わる新元号が『令和(れいわ)』に決定した年でもありました。
私たちは現在、このように新しい『令和』の時代を迎えていますが、今回の改元で大きく注目を集めたのが、新元号『令和』の典拠でした。これまでの元号では全て中国古典(漢籍)が出典とされてきたところ、今回の元号では史上初めて日本の国書が選ばれたということです。そしてその国書とは「万葉集」です。
そこで今回は、B’zと万葉集を巡る知られざるエピソードについてまとめさせていただきました。宜しければ是非ご覧ください。
「万葉集」とは?
「万葉集」は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である、とされています。
「万葉集」の大きな特徴は、天皇、貴族、防人、農民など身分や地位を問わず多くの歌人の歌が収められていることです。また素朴で、ありのままの心情を詠んだ歌が多いのも特徴と言えるでしょう。
ちなみに今回の新元号『令和』には「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味」が込められているということです。
『B’zと万葉集』の知られざる関係性
それでは、今回のテーマである『B’zと万葉集』にはいったい何の関係があるのでしょうか?
実は『B’zと万葉集』には、一般的にはあまり知られていない、運命的なエピソードがありました。
それは、1990年2月21日発売、B’z 3枚目のシングル「LADY-GO-ROUND」の制作が行われていた時のことです。
稲葉浩志さん、B’zデビュー後、作詞に苦しむ
B’zは1988年(昭和63年)9月21日、ギター・松本孝弘さんと、ボーカル・稲葉浩志さんの2人組で結成されました。また同時に、松本さんは作曲、稲葉さんは作詞を担当することになります。
松本さんはアマチュア時代から多少の作曲経験があり、また当時スタジオミュージシャンとしてすでにある程度のキャリアを積んでいましたが、稲葉さんは”いきなりのプロデビュー”。
そのためアマチュア時代を含めて作詞の経験もなく、そもそも、(当時洋楽中心にコピーしていたため)”ほとんど日本語で歌ったことがない”といった状態で、デビューを迎えることになりました。
そのため稲葉さんは「作詞」の作業に大いに苦労。デビューから2年程は、”松本さんの曲ができても稲葉さんの詞ができていない”状況、また”歌詞を提出しても周りからダメ出しばかりされる”状況が続き、稲葉さんは後に「高尾山に逃げようかと思った」と語るほど、かなり追い詰められていました。
そんな最中、稲葉さんにある転機が訪れます。
松本さんとディレクター、渋谷の本屋に「万葉集」を買いに行く 稲葉さんの転機に
1990年2月21日発売の3rdシングル「LADY-GO-ROUND」制作時にも、稲葉さんは作詞に行き詰っていました。
その様子を見た松本さんと当時のディレクターは、1990年のお正月、慰めるべく稲葉さんの元を訪問。さらに渋谷の本屋さんに赴き、稲葉さんのために「万葉集」を購入しました。そしてこの行動が、稲葉さんにとっての大きな転機になります。
稲葉さんは、この「万葉集」に収録された百人一首の一節を、なんと3rdシングル「LADY-GO-ROUND」の歌詞に採用。「万葉集」をヒントにして、思い切った試みを実現させています。
こひしかるべき わがなみだかな
こひしかるべき かみのまにまに
B’z「LADY-GO-ROUND」
B’zは同年オリコン1位を獲得し飛躍 稲葉さんは「太陽のKomachi Angel」を書き上げるなどし、作詞面で覚醒 異色なタイトルも持ち味に
さらにこの年、B’zは6月13日に発売した5thシングル「太陽のKomachi Angel」で初のオリコンチャート1位を獲得し、大きく飛躍。ついに音楽シーンの第一線に躍り出ることとなりました。
それは、「LADY-GO-ROUND」リリースからわずか約4ヶ月後の出来事でした。
そして「太陽のKomachi Angel」という異色なタイトルについて、出来上がった当初、松本孝弘さんは非常に驚いたということです。またさらに、その後どのようなタイトルが稲葉さんによって付けられてもあまり驚かれなくなったとも、後に言及されています。
B’zはその後、約30年近くにわたって圧倒的な音楽セールスをキープ。松本孝弘さんの作曲センスがさらに研ぎ澄まされていったことはもちろん、稲葉浩志さんが作詞において”覚醒”されたことは、実に目を見張るものであったと言えるでしょう。
B’zのこれまでにリリースしたヒットシングルの中には、「ギリギリchop」、「ultra soul」、「愛のバクダン」など、画期的なタイトルや歌詞が数多く登場しています。このポイントが多くのファンを惹き付けてやまないということは、言うまでもありません。
つまり、これらのお話をまとめると、1990年当時、松本さんとディレクターが「万葉集」を買い、それによって稲葉さんが3rdシングル「LADY-GO-ROUND」の歌詞に和歌の一節を取り入れたことが、稲葉さんの作詞の壁を破る大きなきっかけとなり、後の稲葉さん、そしてB’zの大躍進に繋がった、という見方をすることもできるのです。
万葉集と稲葉さんの小市民的歌詞
さて、”B’zはなぜ売れたのか”というテーマの評論を様々なところで見ていると、”稲葉さんの歌詞の内容”が要因として挙げられていることが多々あります。
そして稲葉さんは、かつて雑誌の対談で、自ら”ロックの様なダイナミックなサウンドに、自分の小市民的な言葉が乗ったから新鮮だったのではないか”という「自己分析」をされたことがありました。
確かに、稲葉さんの歌詞は着飾っている様子はあまり感じられなく、どちらかというと”等身大のもの”であることが多いと言えそうです。
「思わぬ工事渋滞で 赤いランプを眺めりゃ」(「ZERO」)、「勢いないぬるいシャワーで体を洗い流して」(「MOTEL」)、「モヤモヤしているのがイヤなら フトンを噛んで考えて」(「love me, I love you」)など、楽曲の中には聴くと思わず目を丸くしてしまうような、日常的なワードが散りばめられています。
まさに独自のスタイルで”小市民的な言葉”を紡いできた、ロックを歌う中では稀有な作詞家。
それこそが稲葉浩志さんであると言えるでしょう。
そして一方「万葉集」もまた、着飾ることなく、等身大であり、”小市民的な”作風で知られる歌集です。派手な技巧はあまり用いられず、素朴で率直な歌いぶりに特徴があるといいます。
そこで、筆者自身が思ったことがあります。実は稲葉さんは、前述の「LADY-GO-ROUND」制作時に、単純に和歌を歌詞に取り入れることで作詞の常識を破っただけでなく、万葉集を読んだことにより「ありのままに書くということ」に触れ、それによって以降の歌詞に”小市民的なもの”が増えたのではないか、ということです。(この点にフォーカスしたインタビューでの言及は見られないため、あくまで筆者の憶測が含まれることをご容赦ください。)
例えばそれ以前の、1989年5月21日にリリースされた楽曲「SAFETY LOVE」の一節を見てみましょう。
スィートルームでは 無邪気にはしゃいでるミモザ片手の 愛しい君は
B’z「SAFETY LOVE」
後のインタビューを紐解く限り、稲葉さんは当時「スィートルーム」で過ごしたことなどなく、また「ミモザ」というお酒も飲んだことはなかった様で、この詞は実体験から作られたものではないことが明らかになっています。またこの他にも、B’z 1stアルバム『B’z』や2ndアルバム『OFF THE LOCK』に収録されている楽曲からは、ロマンティックではありながらも”小市民的””素朴”とは言い難い歌詞が多く見られます。
一方、B’zがスターダムにのし上がっていった1990年以降には、稲葉さんらしい等身大の歌詞のスタイルが確立され、このようなテイストの作品はめっきり減ったように思われるのです。
つまり1990年1月、稲葉さんが作詞に悩み「万葉集」を読み耽ったあたりから、「詞を書くときは着飾らなくていい」という意識が稲葉さんの中に芽生え始め、結果的に等身大の作風が確立され、小市民的な歌詞が増えた、という説もまた、ある見方によってはひとつ提唱できるのではないでしょうか。
いずれにしても万葉集がB’zに与えた影響は大きい、ということ自体は紛れもない事実です。
「歌を詠む」「歌詞を書く」という行為は、芸術的であり、ともすれば耽美的になり得るものです。しかしその中で敢えて、ありのままに詠み、書く。これがどれほど人間として勇気のいる行為であるのかは、到底計り知れません。そしてそのことについて深く考えると、”詠み人”たち、そして稲葉さんに、尊敬の念が湧いてくる想いです。
以上、『B’zと万葉集』についてまとめさせていただきました。ご覧いただきありがとうございました。
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